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2.3 第1期:「試行錯誤」

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本章の残りの部分では、最初の10年間、すなわち、初期の実験と外商投資企業の基本形態の創出の時代をみる。

1978年12月18日、共産党は、鄧小平の主催で、第11回中央委員会第3回総会を開催し、党の役割の重点を経済建設と現代化に移し、そのために改革開放を実行し、それにより著しく経済成長を高め、生活水準を向上させることを期するという、歴史的な決定を行った。

大規模な現代化を進めるためには、資本・技術・経験の不足の問題を解決することが急務であった。中国の社会主義を現代化させるためには、改革開放と外商投資の活用が欠かせないものとなった。

外商投資企業は、外国からの直接投資を中国本土へ誘致するための、企業形態である。

中国への外商投資は、一朝一夕にできるものではなく、中国で長期的に生産・操業・生活をする必要がある。中国に外資を誘致し、彼らを中国に渡航し、滞在する気にさせ、さらに発展させるためには、中国としては、外商投資とその運営のための好ましい法的環境を創りあげる必要があった。

しかし、改革開放の当初、中国には外国からの直接投資の受け入れに関する法律も、企業に関する法律もなかった。そもそも当初は、中国はそうした法律を作るつもりさえもなかった。

当初のプランは、中国の経済運営の仕方を変えることなく、外国人投資家を、中国の大規模な計画経済の中の、一つの結節点とするというものだった。

計画経済では、企業は、どれくらいの原料と設備を使って、どのくらいの量を向上で生産するかを、予定しなければならなかった。計画経済では、こうした企業は一般に国有企業であったが、外国人投資家も、フィージビリティ・スタディの案の中でこうした予定をすることを求められた。

外国からの投資を審査・承認する国や地方自治体は、原材料や生産設備を提供するのみならず、生産された製品が―輸出市場にせよ国内にせよ―確実に販売されるようにする責任を負っていた。

そのため、当初はほとんどの外国投資プロジェクトが中央政府レベルで審査される必要があった。なぜなら、地方政府は、特に富裕な地方でなければ、必要な原材料や適切な生産設備の提供を保証できる立場にはなかったからである[1]

それゆえ基本的には、中国における外国投資家の事業は、外国投資家の中央政府への提案、当該提案の中央政府による審査・承認、中央政府から外商投資企業への原材料または適切な設備の提供によって行われることになっていた。

そこで、1978年、鄧小平が外資との合弁会社(以下でいうところの中外合弁経営企業と中外合作経営企業。以下、中外合弁経営企業と中外合作経営企業を併せて合弁会社という。)の設立を認めたのを皮切りに、関係部署は、合弁会社の定款・契約案の調査・研究に着手した。調査の過程で、香港の廖瑶珠弁護士を、関連する協定・契約条項を立案するためのコンサルタントとして招聘した。廖弁護士は、単に定款や契約があるだけでは十分ではなく、法的な根拠があるべきで、合弁会社法を制定する必要があるとアドバイスした。彼女の意見は中央委員会の指導者たちの大きな注目を集めた[2]

このような調査研究の成果として、1979年7月1日に中外合弁経営企業法が制定され、1979年7月8日に施行された。

その後、1986年に外商独資企業法が制定され、1988年に中外合作経営企業法が制定された。

中国における中外合弁経営企業は、中国資本と外資の合弁の有限責任の法人である。

利益と損失の分配は、中外合弁経営企業の各合弁パートナーの持分に比例してなされる。

外商独資企業法は、外国資本のみから成る有限責任の法人である。

中外合作経営企業は、プロジェクトを設け完成させることを目的として、共同生産・運営の契約を締結してする企業である。株式・持分を設けることも設けないことも可能である[3]

中外合作経営企業の利益は、合弁当事者が登録資本へ投入した割合ではなく、合弁契約の条件に従って配分され、中外合弁経営企業よりも構造の柔軟性が高い。

中外合弁経営企業法制定当時、外国からの直接投資を受け入れた実務経験がなかったことから、その規定は比較的原則的な性質のものであり、たった全文15条からなるものであった。鄧小平は、竹入義勝公明党委員長(当時)との会談で、「まだ経験が乏しいためこの法律は不完全であり、法律というよりも政治的意思を表明したものである」と述べた[4]

外商投資企業の法律関係・事項は、外商投資企業による膨大な提案・照会(弁護士などを通じて、非常に頻繁に行われていた)と、中央政府の決定・回答により定められ、それにより外資三法に明記されていない事項が補充されていた。

外資三法と、外国からの投資自体を奨励することによる改革開放は、一種の実験であったため、このような特別な方法で物事が進められた。物事がうまくいかなかったならば、それを行う方法を変えるか、それをすっかりやめるかだった。

中国の経済改革と自由化への段階的な取り組みを示すものとして、改革解放後、「摸着石头过河」(川底の石を探りながら川を渡る)という言葉がしばしば引用されるようになった。

それは「慎重に進み、試行錯誤によって改善する」ことを意味する。

試行錯誤の末、国務院は1983年9月に中外合弁会社法実施条例[中外合资经营企业法实施条例]を公布した。中外合弁経営企業法実施条例は、企業の設立・登録、組織・登録資本の形態、投資形態、董事会・管理機関、技術の導入、土地の使用権とその費用、企画・購入・販売、税務、外国為替管理、財務・会計、従業員、労働組合、存続期間、解散、清算、紛争の解決についての規定を含む。16章118条からなる「中外合弁経営企業法実施条例」の公布により、中外合弁経営企業は事業活動のあらゆる面で依拠することができる法令の根拠を得た[5]

また、外商独資企業法や中外合作経営企業法についても、1990年の外商独資企業法実施細則[外资企业法实施细则]、1995年の中外合作経営企業法実施細則 [中外合作经营企业法实施细则]などが制定されている。

カリフォルニア大学法学部(バークレー校)のスタンレー・ルブマン講師はこれを以下のように表現した:

新たに公布された法律は、法的真空状態であったのを補填することの難しさを反映して、暫定的または仮のものであること明示されていることが多く、これらの新たな法律は、その後に追加の立法よって補完されなければならなかった。このような法律制定パターンは、当初から外商投資法制を特色づけている[6]

外国からの投資を奨励することによる中国の現代化は、思いのほかうまくいった。

外商投資企業は、改革開放後の中国の建設に以下のような点で大きく貢献してきた:

  • 中国の資金不足の補填;
  • 産業技術の向上と現代的経営の促進;
  • 生産力の発展、国内市場の活性化;
  • 中国の輸出入貿易の力強い成長の促進;
  • 企業の経営管理の改善;
  • 多数の優秀な人材の育成;
  • 中国の経済システム改革や国民の考え方の変化へのプラスの効果[7]

[1] Michael Paul、Introduction – Opening Up and Reform (2019) (人民大学法学院の授業PPT)参照。

[2]李成钢、《改革开放40年来利用外资法律制度的变迁与展望》 (2019)参照http://www.npc.gov.cn/npc/c541/201902/061c546b82e745bb988389f90d346baa.shtml

[3] 会社法では、有限責任会社と株式会社は法人であると規定されている。しかし、中国法上、法人となるための条件を満たさない中外合作経営企業は、中国においては法人たる地位を取得することができない。

[4] (李) 参照

[5] (李)参照

[6] Stanley Lubman、Looking for Law in China、20 Columbia Journal of Asian Law 11 (2006)

[7] (焦) 31-34参照

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